cnosuke's blog (′ʘ⌄ʘ‵)

へっぽこエンジニア

"もっとも『むずかしい事』は!『自分を乗り越える事』さ!ぼくは自分の『運』をこれから乗り越える!!" -- 岸辺露伴

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本記事は、はぐれ学生 Advent Calendar 2013の15日目の記事として執筆しています。

ジョジョ好きなみなさん、ジョジョとか全く興味無いみなさん、こんにちは。

先ずは簡単な自己紹介

筑波大学大学院で情報可視化という分野の研究をしている・・・はずが、最近はあんまりしてないですね。

週の大半はクックパッドという会社でみなさんの毎日の料理が楽しくなるようなお手伝いをしています。

ちなみに、クックパッドではエンジニア、デザイナ等々募集中です。 && 冬のインターンも募集中ですのではぐれ学生予備軍なみなさん是非どうぞ。

忙しい人のための本記事ざっくりまとめ

  • はぐれ学生って何?その逆としての普通の学生は存在するのか。

  • 大学院に行って思うこと、或いはみんな大学院辞めちゃえばいいのに、という暴論

  • "もっとも『むずかしい事』は!『自分を乗り越える事』さ!ぼくは自分の『運』をこれから乗り越える!!" -- 岸辺露伴

はぐれ学生とは

はぐれ学生とは何か。はぐれ学生アドベントカレンダーにおいては下記のように定義がありました。

本企画では「はぐれ学生」とは、先にも述べた大学などの学校を中退、休学、留年した方、また、仮面浪人やちょっと変わった進路を選んだ方などを指すことにします。 そういう人たちはおもしろい。とても、おもしろい。

「はぐれ学生」という言葉を「中退や休学」といった在学の記録による厳密な定義では無く、もっとこういう人のことを「はぐれ学生」と呼んでるんじゃないかな、という考えをしてみよう。

前掲のようにアドベントカレンダーの説明では「はぐれ学生はとてもおもしろい」といった言い方がされています。

自分にとっておもしろい人とはどういう人か。僕自身にとって、あ、この人面白いなという人は、どこかしら自分には無い考え方をしていたり、明らかに自分とは違う人なように思う。 非常に乱暴だけれども、「この人おもしろい」という感情の根源が「この人他の人と違う」だと仮定すると、はぐれ学生というのは「他の人(学生)と違う」から「おもしろい」ということになり、アドベントカレンダーの説明でいうところの「はぐれ学生はおもしろい」という文脈にも重なるように思う。*1

さて、「他と違う」人がはぐれ学生だとしたら、何が違うのか。もちろん休学とか中退とか学籍上「普通では無い」というものは確かにあると思うけれども、その学籍上の違いというのは殆どの人の場合は副作用的に発生した違いであって、実際にはもっと別のところに違いがあるのでは無いかと思う。

この別のところの違いというのは、すなわち個性と呼んでも良いものかもしれない。凄く知識量が多い人、頭の回転が速い人であったり、ビジネスの才覚がある人、もしくはただの変人としか良いようが無い人。個性と言われることばで「違い」を説明されるこういった人が、知識量の多さゆえに大学では満足出来ず自ら他の舞台で学ぶことを選ぶ、ビジネスの才覚があるが故に大学では無く社会で稼ぐことを選ぶ、といったように「はぐれ学生」になるのだろう。

普通の学生とは

さて、はぐれ学生という言葉を考えた時、その逆として「not はぐれ学生」すなわち、「普通の学生」は存在するのだろうか。

中退や休学のような学籍上の厳密な定義を用いれば、当然「普通の学生」という存在は成立するだろうけれども、各々の「違い」、別の言い方をすれば「個性」を考えた時に、果たして「普通の学生」というのは存在するのだろうか。

僕は、そういう意味では「普通の学生」は存在しないと思う。 別に今更指摘することでも無く、至る所で綺麗な言葉で語られることかもしれないが、改めて言わせてもらうと、個性が無い人間なんて存在しないと思う。

みんな何かしら自分だけの考え方を持っていたり、他の人には無い知識を持っているものだと思う。いや、もっと他の言葉で説明すべき個性も存在するだろう。

「個性が無い」と言わざるをえない状況があるとすれば、それは環境がそう言わしめるのだと思う。具体的に言うならば、個性を発揮出来ない職場であったり、学校であったり、もっと言えば社会が「個性が無い」人を演出してしまうのである。 「没個性的」という言葉を最近ある場所で使ったのだが、この言葉は「環境が個性を埋没させる」と捉えるべきで、個性を発揮出来ない人が悪いみたいな意味で捉えるべきでは無いと僕は思う。

大学に行かなくてもいい

さて、はぐれ学生らしいことを言わせてももらうと、大学全入時代とか行って殆どの人が大学に行くという時代のようだが、果たしてそれが良いことなのだろうか。

僕は全く思わない。正確に言うと、誰であっても大学に行くことは良いことだ、という風潮ほど害悪なものは無いと思う。手放しで何も考えずに「取りあえず行くのはいいことだよね、高等教育だし。」と言う人ほど、高等教育というものを考えて欲しい。 世の中には、高等教育の知識が無くても社会に多くの利益をもたらして多くの人を幸せにする仕事が沢山ある。あなたの家の近くにもきっとあるであろうラーメン屋はとても多くの人を幸せにしているだろうけれども、それは本当に高等教育が必要なものなのだろうか。

最も不幸なのは、「誰であっても大学に行くことは良いこと」と騙されて大学進学を選んでしまう学生達だと思う。大学に行って学んで、それを生かして出来る仕事は確かに沢山あるかもしれないけれど、果たしてそれは自分がすべき仕事なのだろうか。ラーメンを作る天才が東京大学に進学しても、それが彼にとって幸せなことなのかは疑問である。

残念なことに、この国ではこの不幸は非常に多く発生していると思う。多くの学生が、高校生の時に特に自分の興味関心を深く考えることも無く大学の専攻を選び、それなりに授業に出席してとりあえず大卒という肩書きだけを得る。大学卒業までの間に、自分がラーメン作りの天才であることに気づかないまま。 しかしながら、日本社会の「新卒採用」という制度においてはこの「大卒」というおまじないで実際に初任給が良くなると言うことも確かにある。でも、これはおまじないのようなものでしかなくて、多くの企業は別にこの「大卒」という肩書きが殆ど有益な意味を持たないことに気がついて居るのでは無いかと思う。

大学院も辞めちゃおう

取りあえず大学院に進めばいい、といった風潮も今すぐに辞めた方がいいと思う。

特に国立理系とかは凄まじい大学院進学率のようだけど、その中で本当に進学したいと思って進学して、卒業後も院に進学してよかったと心から言える人が何割くらいなのか統計が欲しいところである。

はっきり言って、大学院に進学することがむいていない人は非常に多いと思う。「大学院に進学するのがむいていない」というのは決してネガティブなことでは無い。これは謂わば「赤色のジャケットは君には似合わないね」と言っている程度のことである。 似合わない赤色のジャケットを無理に着こなそうとして、最終的にストレスで心身の健康を崩してしまった人を何人も知っているが、彼らは最初から赤色なんて着なければよかっただけなのだ。

大学院に入ってはみたけれど、イマイチ面白く無いと思う、なんか違うと思う人。進捗報告の度に胃が痛くなる人。いっぱい居ると思う。 みんなで大学院辞めちゃいましょう。似合っても居ない赤色ジャケットを着て体調崩すくらいなら真っ裸で外に飛び出した方が絶対気持ちが良い。

一方で、企業の側に聞きたいのは、大学(学部)卒と大学院卒とで給料に差があるところが多いけれども、その差は一体何の差なのでしょうか。 例えば年収で50万円ほどの差が出る会社があるそうだが、大卒と院卒でそれだけの差額分の違いが本当にあるのか。それは御社では明確に判明している事実を元に算出なさっているのですか、と会社説明会で聞いてみたいところである。*2 まさか「社会の一般常識」みたいな魔法の言葉を持ち出すのでは無いでしょうね。そんなことを言い出す会社があるとしたら、それ以降は「チキチキ!!絶対に独創性とかオリジナリティとか他には無い唯一の会社みたいなそういったことを言ってはいけない会社説明会〜!!」状態だと自覚したほうがいいですよ。

もっとも『むずかしい事』は!『自分を乗り越える事』さ!ぼくは自分の『運』をこれから乗り越える!! -- 岸辺露伴

すいません、だいぶ文章の本筋が迷子になってしまいました。

強引に話の筋を整理すると、大学にはみんな行くべきだなんて発想は辞めて、もっとみんな自分がやりたいこと得意なこと好きなことをやればいいいし、手放しに大学に行くことを奨励するのは辞めるべきだと思う。そして、当然大学院に進学することも、本当にそれが自分にとってよいことなのかは熟考すべきで、むいてないと思うならさっさとみんなで辞めてしまおう。そうなると、今の新卒採用の状況を見ると不利なことが起こりそうだけど、それは企業側もおかしい部分があると思うからちょっと企業側もちゃんと考えようよ、という話です。

別に変な話では無いし、みんなそうしたいんじゃないかなと思うんだけどどうなんだろう。で、みんなそうやって自分がやりたいことや得意なこと、好きなことがやりたいのであれば、それはやはり個性に繋がるだろうし、それこそが「はぐれ学生」みたいな像になるんじゃないかなと思います。

もっとも『むずかしい事』は!『自分を乗り越える事』さ!ぼくは自分の『運』をこれから乗り越える!! -- 岸辺露伴

岸辺露伴先生の名言ですね。詳しくは作品を読んで頂ければと思います。

既に運命が決まっているとしても、それは変えていける。 そう、例え貴方がスタンド使いでは無くても、自分を乗り越える事が出来れば・・・ッ!!

重要なのは、一旦立ち止まって自分の運命、シナリオがどう書かれているのかを見て、必要があればそれを書き換えるために自分を乗り越える事だと先生は教えてくれます。

ヘブンズ・ドアーを開いて自分のシナリオを読み解き、どんどん書き換えていきたいものですね。

*1:もちろんこれは一般論では無く、みなさんにとっての「おもしろい」の考え方は全然違うかもしれないし、そもそもはぐれ学生なんて全然面白く無いしホビロンって思っている人も居ると思うけど、それは取りあえず便所の紙につつんで流しておきます。

*2:というかそもそも中卒だろうが高卒だろうが大卒だろうが根拠無く差があるのであれば、やはりおかしいと思う。